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鴻池 朋子
メディシンインフ
ラプロジェクト

東京と、⻘森市にある⻘森県⽴美術館(2024年夏個展開催地)とは直線距離で約700km離れています。その間にある広⼤な東北の中からある任意の設置場所を選び、作品を置いていこうと思っております。その場所とは、私がこれまでにご縁があった⼟地、出会った⼈々が住む所です。

観光地でもなんでもなくごく普通の巡る季節の中にある景⾊、⽣活の場です。

そういうご縁があり本プロジェクトにご興味を持っていただける⽅々とご相談しながら、私の絵画、彫刻、映像、絵本などから作品を選んでもらい、これらの作品の「⼀時預かり所」として展⽰していただけたらと思います。各地の公⽴美術館の収蔵庫の奥深くには、⻑年⼤切に保管されてきた多くの作品があります。このような保存と共に、私は作品を収蔵庫ではなくできるだけ⼀般の家や会社やお店などに展⽰し、作品を保管してもらいながら共に⽣活していただきたいと考えています。作品も⽣活の中で鍛えられるのではないかとも思っています。猟師が罠を仕掛けるように、縁というものを介して展⽰をしていけたらと思っています。

そして観客は新しいインフラをつくっていく動物です。これまでの⾼速道路や新幹線や⾶⾏機という都市と地⽅を点と点で、直線で、時短で結ぶインフラを使⽤するのではなく、作品を道しるべとして、独⾃のルートをつくって⻘森へ向かう。迂回し、寄り道し、それぞれのペースで地図を描いて⻘森へ辿り着く、もしくは途中で逗留して辿り着かないかもしれない、それはそれ。そういうプロジェクトをいたします。これは⻘森県美での展覧会が終了しても続いていきます。

 

このプロジェクトがどこからきたか考えてみました。

20年くらい前から作品をつくっては、私は旅芸⼈のように各地を巡って展覧会をし、作品を設置するようになりました。仕事をする上では当然な流れでしたが、それはどんどん加速していきました。家にあまり帰れず常に永遠のホームシックのような気持ちもありましたが、徐々にその気持ちも⼩⽯のように固まってしまい何処かに忘れていきました。⾃分の旅というのもほとんどしたことがありません。

そうやって各地を移動するようになったある⽇、鴻池さんにぜひ合わせたい⼈がいると取材に来た新聞記者にいわれ、⿅児島の紫尾⼭にいる年⽼いた猟師と会うことになりました。猟師は⼭で⿅と猪、川で鰻を獲り、養蜂をし、私⽴探偵をして暮らしていました。村落の悩み事相談を受けていたようです。気⼼が合い(おじいさんという⽼⼈となぜか私は幼少の頃から相性がいい)、それから⿅児島の美術館での仕事の際に寄り道しては罠の⾒回りに同⾏しました。掛かった⿅を⾥に運び料理してもらい、たいそう美味しくいただきました。⿅⾁が醤油と薩摩焼酎と共に腹に落ちていくときに、⻑年のホームシックの塊が柔らかくなって溶けていくようでした。⿅の脂が全⾝に⾏き渡ります。その時の⾷べ物はまるで特別な薬/メディシンでした。

 

何度か通ううちに、この⼀連のハンティング、銃や罠という道具を使う猟の動作は、作品をつくり展覧会を開いていく仕組みと⾮常に似ていると思うようになりました。あるとき⿅が⼀歩踏み込んで罠は作動する。両者が罠を介して引き寄せられます。殺す、死ぬ、⾷べる噛む、お腹に落ちていく。漠然として⾒えるフィールドに仕掛けられた罠が、⽣きもの同志の「縁」をつくり、その場所で⽣死が同じものとして起こり活⼒が満ち満ちてくる。罠を仕掛けて動物と交差することと、作品を設置して観客と交差することの仕組み、ひいては共同体を構築していくようなものにまで根底に同じデザインがあるようでした。

けれども⼀点だけ、完全に違うことがありました。それは、作品は「⾷べられない」ものだということでした。これはとても⼤きな違いでした。つまり、作品制作は⽣きものを殺して噛んで⾷べていないのです。私のホームシックは、⾷べられないものをずっとつくっているという疎外感や危機感によるところが⼤きいのかも。私のこの移動は、作品をつくること以上に、⽬的や希望や未来などという⾔葉以上に、もっと⽣きる上での根源的な事柄に向かって移動しているのではないかと感じるようになりました。

 

ところで、⿅児島の新聞記者が、なぜ猟師と私を合わせたのかはわかりません。けれども必ず、他の⼟地でも、動物のように⿐が効き直感⼒のある⼈がおり、⼿助けしてくれ、何かの仲⽴ちをしてくれました。それは商店のおじさんだったり、たまたま道を聞いたおばさんだったりするのですが、私はその何気ない仲⽴ちの⽅々によって、旅の途中で⿅⾁のようなものを処⽅され、今⽇まで助けられ多くの命拾いをしてきたと思います。その⽅々や場所はgoogle マップには載っていないし、絵や図では指し⽰せない領域にあるものだから、⾃⾝のセンサーで嗅ぎ分けていくしかないものだと思います。そういう薬/メディシンとなる何気ない⼭や海の⽣きものが繋ぐ道、インフラ(基盤、下部構造)が潜んでいます。私の作品はその道しるべとして、微かに機能すればよいのかなと思っています。

2023年10⽉  鴻池 朋⼦

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